語りたい人達について

その都度語りたい特定の人について色々くっちゃべります。全部個人のイメージなので、あしからず。

二宮和也と彼の距離感について

 

あぁもうなんだかな本当遠いなこの人。

 

と思ったのが2017年12月31日に放送された第68回紅白歌合戦の司会を見たときで。SNSでもそつなく安定した司会っぷりが絶賛されていて話題にもなった。

 

総合司会の内村さんが居なくなった時も落ち着いた微笑みで有村架純ちゃんを見守ったり、芸人の適当な台詞もやんわり流したり、ぜんぶ拾って、ぜんぶやわらかに纏めて、次に繋ぐ。

 

あの空気を、初のソロ司会で、紅白という場で出せるのはちょっと努力だけでできるもんじゃないと思う。

 

彼が努力の人じゃないという話をしたい訳では勿論ないのだけれど、その司会っぷりから彼の「他人との距離の取り方」を感じ取ってしまって、あぁなんだか遠いなと思ってしまったのだ。

 

他人、だけではないかもしれない。他のもの。自分以外のもの。例えば、「紅白という一大イベントの場であること」「今話している相手が大物アーティストであること」「失敗やハプニングが許されない場であること」「生放送であること」とか、そういった事象全てとの距離の取り方が絶妙だと思った。

 

大抵の人はそこに入りすぎてガチガチに緊張したり、思い切ったことが言えなくなったりしてしまう。そして、それをイメージトレーニングとか経験とかいった努力でなんとかしていくのが普通だ。

 

でも二宮和也にはどこか先天性の、そういったものと自分との距離をとって物事に向き合う才能がある気がして。

 

ただ冷めている訳じゃない。あの見事な回しっぷりは勿論アーティスト、観客、その場の空気をよく見て居ないとできない。本当によく見ているんだと思う。その上で、その見えているものに対してじゃあ自分がする最善は何か、というのを落ち着いて、そして優しく判断できるんじゃないかな。

 

前述した緊張したり思い切ったことが言えなくなるというのはどこか自分と他の事象を繋げているから起きることだと思う。「今話している相手が大物アーティストである」という事象が、「大物アーティストに対して何か失礼なことがあったら自分が叩かれてしまう」という自分に繋がって、「緊張」という結果になる。


二宮和也の場合は「今話している相手が大物アーティストである」という事象は「大物アーティストだから失礼のないよう丁寧に対応するべきだ」というこれまた事象に繋がって、「丁寧に対応する」というシンプルな結果になったりしているんじゃないかなと思う。

 

勿論完全にそうだとは思わないし二宮和也だって緊張はするだろうよ。でも、少しだけ、他人よりそういう感覚が薄い気がしてしまったのだ。

 

繰り返し言うけど二宮和也が冷めているとか冷たい人だという話をしたい訳じゃないし、寧ろそれだけ他人をよく見て他人のために最善の判断を下せるのだから優しい人なんだと思う。

 

私の話になるけど、欅坂46のファンである私はあの2度目の内村さんと一緒に踊った不協和音の最後にメンバーの1人である鈴本美愉ちゃんが失神して倒れたとき、息が止まりそうだったのだ。


平手友梨奈ちゃんもずっと苦しそうで、パフォーマンス中も内村さんが気遣うシーンも見えて、そんな中での失神だったのでどうしようどうしようとめちゃくちゃに焦っていたのだ。

 

そんな中、二宮和也の「夢が叶ってよかったですね」の「棒読みじゃねえか!」という内村さんのツッコミに繋がるコメントと、ゲストが心配そうな顔をを見せる中でも笑顔で次に繋げる落ち着いた司会っぷりを見て、

 

めちゃくちゃに救われてしまったのだ。

 

そりゃそうだ。天下のNHK紅白歌合戦なのだ、少しハプニングがあって女の子が数人倒れたってすぐに対処できる。大事ではない、そして今他者である倒れた本人以外の私達にできる見守り、待つこと以外のことは無いから焦ったりせず落ち着いていて大丈夫なのだ。

 

そういったことを見ているこちらが感じ取れるような事象との絶妙な距離感にめちゃくちゃに救われた。
(あと欅ちゃん体調面ではニュース見る限り本当に大事ではなかったようでよかった…)

 

落ち着いた人間がいる、というのは何か大事が起きたときそれだけで救われるものだし二宮和也にはその才能があるのかなとも感じた瞬間だった。

 


というわけで纏めると二宮和也すげえなあ、になる訳だけども最初に書いた通り「遠いなあ」もあって。

 

色々ごちゃごちゃと書いてきたけど全部私個人が思っただけのことで本当のところの二宮和也がどうなのかは私には勿論わからない。でも、とりあえず二宮和也くらい有名で芸歴も長いと情報量も増えるし大体見ている人たちはメディアからの情報を受け取る中で自分なりに「この人こんな人間なんだろうな」というなんとなくのイメージは掴めるようになっているんじゃ無いかと思う。

 

大体そうやってイメージが掴めると芸能人である分元々遠く感じていたその人を近く感じるものだと思うけど、私にとっての彼の場合雑誌のインタビューを読んだり自身作曲の曲を聴いたりバラエティでの様子を見たり紅白の司会に救われたりした結果掴んだイメージの結果が「他者との距離が遠い」なので逆にリアルな遠さを感じてしまったのだ、という訳です。

 

遠いなあ。めちゃくちゃ優しくて才能ある男なのにすげえ遠いなあ。

 

でもこのリアルな手の届かなさが二宮和也の魅力でもあって、うーん悩ましい。

 

とにかく、最高の大晦日をありがとう。